2019年11月16日土曜日

300を振り返って&那須岳






 2011年に日本100、2018年に200、2019年も終わろうとするころ300を登りきることができたが、高校生のときに大雪山、樽前山を登ってから50年以上になる。学生時代(大学院も)は体力とヒマはあったが、お金がなく、就職(大学)してからはヒマがなく、定年後は体力がなくなった。定年後も少し仕事をしているので、本州への山旅の回数はさほど多くはなかった。山でお会いした首都圏在住の方々は数年で完登する人が多い。私の300の中身は単独行106山、同行者あり50山、ツアー145山である。特に年をとってからはアクセスの悪い山、林道歩行が長い山、四国と九州の200,300はツアーにお願いした。しかし思い出深い山は単独行が多い。その単独行も昔のものは記憶が薄れつつある。11月1,2日、以前3月に茶臼岳までしか行っていない那須岳の三本槍まで行ってみた。那須塩原駅からバスでロープウェイ駅まで行き(8時半)、峠の茶屋跡(写真下から2番目)までゆるく登っていく。風が強い中、帰りに朝日岳によることにして稜線を三本槍岳へ。清水平をくだるころには気温があがるが、霜柱が溶けて道はドロドロ。三本槍は穏やかな1等三角点(写真上、那須岳最高峰1917m)。帰りは岩山の朝日岳により茶臼岳(写真中)を眺める。ロープウェイ駅に戻ったらまだ13時半。バスを待って、那須塩原駅に戻るが、連休の渋滞にまきこまれた。

2019年11月15日金曜日

やっと日本300名山完登です



10月27日(日)いよいよ日本300名山ラスト(実際は301山目)の青海黒姫山(1221m)だが天気は小雨でぱっとしない。糸魚川のホテルから30分の移動で清水倉登山口へ。石灰岩の採掘場からスタート、7時45分。一本杉峠までゆるやかな登り、途中樹林帯にクマがいて、大声で追い払う。ガイドさんによればいつもこの山では会うとのこと。金木平9時45分。ここから急な登り、沢地形の中を行くが滑る石灰岩とその泥に苦戦、、。稜線に出ると紅葉真っ盛り、日本海も雲の切れ目に見える。青海黒姫山頂上11時10分。一等三角点と神社がある。下りでは左方向に栂海新道の山々が見えて、もう10数年前だが暑いなか、最後は親不知の海に服のまま入ったりで思い出深い山行だった。帰りもドロドロの道を登りと大差ない時間をかけて14時35分登山口着。晴れてきて車中から山の全貌が、、。盛り上がったような岩山、登山口が標高87mなので、山の標高は1000ちょっとだが、結構登りがいのある山でラストをしめくくることができた。

米山


10月26-27日(土日)300名山完登に向けてパワーゾーンのツアーに参加する。10日前の台風19号被害で北陸新幹線が不通になり、長野経由で上越妙高駅に集合する予定だったが、急遽新潟往復の飛行機を取り直し、前日25日、新潟から信越本線で直江津泊まり。結果的には25日に長野―金沢が開通したが、、。この週も台風は直撃しなかったが前線が活発になり大雨。柏崎を出たところで、汽車が止まり大雨でストップ信号、しばらく待っていると今度は柿崎で地震とのこと、、。何と誤報だった、、。26日、直江津から上越妙高へ移動。皆さんと落ち合って柿崎の水野林道登山口(標高500m)から米山(993m)へ。1時間ちょっとで頂上。一等三角点と原三角点(写真)があったが、残念ながら見晴らしゼロ。この日は糸魚川で宿泊。

2019年11月7日木曜日

増毛山道


10月22日(火)即位礼正殿の儀で祝日になり、浜益御殿から雄冬山の往復をしてきた。登山口9時半発、1時間半ほどで浜益御殿(1039m)着。ここから下ってまた登りなおす。笹かりがしてあって道幅は広い。雄冬山(1198m)13時半。江戸末期1857年、伊達林右ヱ門が開いた山道。2018年の8月24日に標柱が設置された。頂上標識は標柱からすぐのハイマツのやぶの中。以前、4月と5月に山スキーで頂上を踏んでいるが、無雪期に来れると思っていなかった。10年以上かけて山道の復元をなしとげた増毛山道の会の方々には感謝です。暑寒別岳、浜益岳の眺望をゆっくり楽しんで登山口に戻ったら17時を過ぎていた。



2019年11月5日火曜日

台風19号


10月12、13日(土日)は道北のウエンシリ岳へ。この日、超大型の台風19号が関東に上陸、非常に広範囲に豪雨災害をもたらし、80人超の人命が失われた、、。道北は雨もふらず、被災者の方々に申し訳ないが、山に登ることができました。