2011年11月28日月曜日

毛無山



毛無山という名前は多数あるが、一応二百名山の毛無山(1942m)、11月5日(土)に行ったのですがUPし忘れ、、地味な山でした。朝霧グリーンパーク側から、4日の越前岳とは違う方向で富士山をながめながら登りました。結構、急坂で3時間弱、天気は下り坂。明日はよくばらずに帰札することに。また来年、登りに来ます。

2011年11月16日水曜日

愛鷹山(越前岳)



11月4日(金)特急朝霧で御殿場まで。御殿場駅から快晴の富士山がくっきり見える。十里木から越前岳(1504m、二百名山)往復。標高差は700m程度なのでハイキングだから、と娘をさそう。出だしはずっと木の階段が続き、この季節にしては太陽が照りつけ暑い。灌木地帯に入りようやく涼しくなったが、どこにでも道がついている。傾斜がきつくなったと思ったら頂上に出た。登り1時間50分。

2011年11月11日金曜日

妙義山(二百名山)中間道





11月3日(祝日)、群馬の怪峰、妙義山中間道。岩が心もとなく感じたのでM旅行のツアーに申し込んだ。写真は下からスタートの中の岳神社、第二石門、第四石門、ゴールの妙義山神社。歩き始めてすぐ岩場。鎖があって岩はすべらなく問題なし、第二石門を登って下りる。1時間で第四石門。ここは唯一の広場。皆食事をしたり休憩をしている。金洞山への分岐あるがクライミングの領域。第四石門の付近にある大砲岩まで遊びに行くが順番待ちで時間をとられる。鎖がなければ3級くらい?あとは中間道といって尾根と谷の間につけられた道のハイキング、といっても過去に事故があったそうだ。途中、鉄階段を何十段も降りる。見晴を過ぎて「大の字」を見に行く。白雲山の中腹に白い「大」の字の看板が見える、といってもそこまでいくにはやはりクライミング。ながめて妙義山神社に下山。所要時間3時間半。ピークがなかったが結構おもしろかった。道の駅で下仁田ネギを見る。太く緑のところが多いネギ。焼くとおいしいそうだ。あとコンニャクが名産、旅行中で買えなかったのは残念。

2011年11月10日木曜日

仁頃山、写万部山、ピリカ丸山



10月22日(土)、T山さんのツアーで留辺蘂にある仁頃山(829m)へ。札幌から石北峠経由で4時間、遠い、、。最短距離の奥新道から1時間半で頂上。たくさんの人が登っていてわれわれが登り始めたころにはもう下山してくる。北見地方の「藻岩山」のようだ。途中、サロマ湖が見えたが天気は下り坂、早々に下山しつるつる温泉に立ち寄る。
10月29,30日(土日)は懐かしい顔がそろって軽い山を登り、本命は奥ピリカ温泉で宴会。カメムシをテープでとりながらワイン5本(6人で!)&ジンギスカン、テンプラなどボリュームある夕食を楽しむ。昔(25年前)の山の話に盛り上がる。ただ温泉はとてもぬるく外気温が低いせいか、、1時間も入っておしゃべりしていた。次の日、帰りにピリカ旧石器文化館に立ち寄る。ダム建設のさいに発掘されたそうで施設は新しく展示物も見ごたえがあった。縄文時代以前の約一万二千年前、ピリカー今金に石器を使い狩猟生活を送っていた祖先がいたことは驚きで、しかも現在の気温より7-8℃も低かったそうだ。書籍も多数あり興味深いところだ。宴会も楽しかったです、M下さん有難うございました。

2011年10月19日水曜日

金剛堂山(二百名山)




10月9日(日)、JRで富山から八尾(やつお)へ。八尾から利賀(とが)村スノーバレーまでバスが1日2便あるが、1時間以上あるためタクシーで栃谷登山口ヘ向かう。途中白木峰(三百名山)への道を通る。運転手さんによるとタクシーを待たせて登ってくる人もいるとか。登山口発8時50分。特に急登もなくたんたんと歩き、途中スノーバレーのスキー場がみえる他はたいして眺望もなく前金剛(1637m)着。11時。ここに立派な標識があり、にぎわっていたので頂上写真をとってもらう。薬師や槍など北アルプスの山々が見えた。前金剛から先にゆるやかな山道が続く。最高点である中金剛(1650m)まで15分ほどで行けた。さらに道は続いているがここで戻ることにする。前金剛発12時。登山口着14時。スノーバレーまで20分ほど歩き15時のバスで八尾に戻る。このバスも南砥市の支援で走っているとのことだがまたしても乗客は私一人だった。

2011年10月15日土曜日

大日ヶ岳(二百名山)




前日、高山から1時間以上バスに乗り、牧戸の旅館泊。大日ヶ岳の登山口まで10kmほどなのでタクシーでと思い調べてきたが、昨年で営業廃止とのこと。宿の人が気の毒がってくれ10月8日(土)、早朝6時に「ひるがの」登山口まで車で送ってもらった。登山口は郡上市になるらしい。6時半発。ゆるやかな登り。快晴。途中、もう下山してくる人に会ってびっくり、1日2山をねらっているのか。殆ど樹林帯で見通しはないが、いっぷく平からしばらく登ると視界が開けてきて白山が見える(写真)。頂上には8時45分についた。大日如来の像が、、。だれもいない頂上をしばらく楽しむ。下山途中結構な数の人達に会った。地味な山だけれどやはり二百名山なのか、、。登山口着11時過ぎ。バス停まで30分ほど歩く。このバスは郡上市営で途中までしかいかない。「桜の里荘川」という道の駅まで乗って、1日2便しかない高山行きのバスを2時間待つ。この道の駅は温泉もあり、レストランもある。飛騨牛のほう葉焼とビールで時間をつぶした。帰りのバスは乗客、私一人。もうしわけない気持。高山の市内をみたらし団子をたべながら観光し、富山へ。

白川郷


10月7日(金)金沢から高山へ移動の高速バス、白川郷経由でここで休憩時間があったので、歩いてみた。世界遺産だけあって観光客&土産物屋ばかり、、。

三国山


9月25日(日)に山歩の仲間と登った三国山の写真です。

2011年9月27日火曜日

手稲山


9月の週末は台風崩れの雨模様、林道、登山道も崩壊している。9月10日(土)五色温泉ーニセコイワオヌプリー大谷地、神仙沼から車道をニトヌプリー五色温泉。24,25日(土日)はウペペの林道崩壊のため白雲山ー岩石山&三国山。糠平温泉でひさびさにキャンプ。山歩の仲間と。9月19日(休日)は歓送登山で平和の滝から手稲山。学生と教員11名。だれも手稲山に登ったことがないのに、何故かやさしい、簡単な山と思っている。案の定、一人の学生は途中で下山、あとの学生もバテバテでわれわれ高齢者よりかなり遅れて頂上へ着いたあと、ハイランドへ下りてタクシーを呼んだそう。登山後、西野で飲み会。私も初めてバス停から登山口まで歩きました(いつもは車)。

アンギラス



8月27日、28日(土日)ニセカウから平山への縦走路、アンギラス。素晴らしい晴天でした。

2011年8月18日木曜日

ついに100番目、乗鞍岳(3026m)




最後に残った乗鞍岳。長野から松本へ。松本から新島々へ。バスに乗り換える。途中、梓川の急峻な流れの両脇の狭いトンネルを、それも中でカーブしているのを走る。奈川渡、稲刻などいくつもの東京電力のダムを渡って行く。こんなにダムがあるのは心強い、水力発電所がんばってくれ。観光センターで乗り換え2700mの畳平へ。長野をでてから4時間以上かかった。畳平は土産物店や宿泊所が数軒ある観光地。ガスの中。剣ヶ峰へ殆ど車道を20分ほど歩く。東大のコロナ観測所や放射線観測所がある。岩まじりの300mの登り。お盆とあってすごい人だが富士山ほどではない。1時間強で剣ヶ峰頂上。頂上には20人ほどの人がいたが、皆さん拍手してくれた。何十年もの間溜まっていただけでさほど感激はないつもりだったが、拍手や問いかけにはとてもうれしかった。富士見岳や大黒岳を回っているうちに雨がひどくなった。今夜も下では宿がとれず畳平に泊まり翌朝7時のバスで下山。 
 
ツアーで登った山:利尻、斜里、阿寒、聖、光、黒部五郎、水晶、間の岳、塩見、富士山、越後駒、平が岳、スカイ山、甲武信、金峰の15山。同行者有(大学の部活動も含む):大雪、トムラウシ、十勝、ポロシリ、羅臼、八甲田、八幡平、岩手、早池峰、赤岳、北岳、祖母、阿蘇、恵那山、丹沢、天城、大菩薩、木曽駒、空木、奥穂高、槍、鷲羽、薬師、五竜、鹿島槍、大山、朝日、飯豊の28山。あとの57山は単独行

99番目の山、浅間山(前掛山2524m)




8月13-16日、お盆休みを使い日本百名山完登へ。天気を見てから宿を決めようと思い、直前までおこたっていたら案の定、どこも満杯。仕方ないので13日は佐久平から山と反対方向の中込という町の安いビジネスホテル泊。14日6時発の小海線で小諸へ。小諸6時半。タクシーで浅間山荘へ。好天だが暑くなりそう。7時には歩きだす。一の鳥居はすぐ着いた。不動滝、二の鳥居を経て火山館着8時半。明るい樹林帯を右手に牙山をながめ進むと有毒ガス注意の沢、すぐに湯の平。左手に、昨年高峰温泉から行こうとして悪天のため敗退したト―ミの頭がそびえている。結局、黒斑まで往復したのみだった。前日、温泉ホテルでは本格フレンチ料理だったのに、、。ト―ミの頭、黒斑、蛇骨岳と三重の外輪山の最外壁の絶壁が連なる。前掛山はその内側の外輪山で、ずっと山腹をまいていく。ゆるい登りだが日差しをさえぎるものがなく火山レキのごろごろした歩きにくい道だ。前掛山10時10分着。ここから先は登山禁止。でも火口に向けてトレイルが見えた。火口付近には薄い煙が立ち上っており、活火山であることがわかる。前掛山10時25分発。登山口12時40分着。ほとんどの人がこの浅間山荘ルートを使っており、すごいにぎわいだった。下山途中、ト―ミの頭へ登っていく(つまり高峰温泉へ下山途中の)人を見つけた。私もこのルートのリベンジを考えていたが、日差しの中、登り返す気力もなくなり元の道を下った。それにしても天気次第で印象が大幅に異なった山だった。長野に泊まる。

北アルプス、針の木から裏銀座、薬師縦走






























8月3日―10日、恒例のノマド・ヤスコツアーで北アルプスへ。昨年の黒部五郎―水晶―赤牛―読売新道縦走で行こう!といいだし、企画してもらった。7人中ガイドを入れて昨年度メンバー4人、強者がそろい私一人こんなに長期間歩けるかどうか不安になる。8月3日は移動日で信濃大町の宿泊。4日、扇沢から針の木小屋まで。小屋から針の木往復2時間。以前、単独で歩いたルートでこの時はスバリ岳を超えて柏原新道を下山。針の木小屋は以前トイレが外のみで赤牛の展望が素晴らしかったが、中に新設しており便利。冷えたビール、アイスクリームと何でもあり。5日、針の木小屋6時発。蓮華の小1時間の登りの間、虹の中にブロッケンがみえた。蓮華の頂上も2回目で7時25分着。蓮華の大下りで500mも下る。岩の日陰で忘れな草(ムラサキ)の群落がかわいい。北葛岳の登りは一転して日当たりの中、9時50分着。30分ほど休み、七倉岳を経てランプの宿、船窪小屋へ。昼過ぎに着いた。到着を鐘で歓迎してくれさらにお茶まで用意されていた。食事はこの山行中一番素晴らしかった。ルバーブをかためたデザートが印象に残る。夕食後のティータイムも楽しい。6日は長丁場で烏帽子岳へ。船窪小屋を5時10分に出る。天気は下り坂。船窪岳からはしごや、ロープあり。7時35分、第二ピーク着。不動の大崩れを横目に不動岳の登りがきつい。不動岳10時着。雨が降り出してきた。南沢岳12時5分。コマクサ咲く白い稜線歩きだが雨のため展望がないのが残念。烏帽子の岩を登って頂上へ。小屋までのあいだ雷と土砂降りの雨にあたってしまった。烏帽子小屋14時25分着。7日、5時25分発。三つ岳、野口五郎岳へのゆるい登りは晴れて剣岳、五色が原、薬師岳、餓鬼岳と燕岳と大展望。野口五郎岳8時15分着。真砂岳を超えて東沢乗越、10時5分、水晶小屋10時55分。小屋のコーヒーが美味しく大休憩。雲の平へ下りる途中、また雷と土砂降りの雨。岩苔乗越12時10分。祖父岳、12時50分着では三俣蓮華岳、双六、弓折の山々が展望できた。雲の平は全部木道で山荘まで最短距離の木道は通行止めで、スイス庭園方向を回って新装の雲の平山荘着。14時5分。山小屋にしてはずいぶんこった造りだが、水が十分使えないのはがっかり。夕方から晴れて水晶岳が目の前に。黒部五郎岳、笠が岳も見えてきて夕日と雲の一大ショ―を楽しむ。8日、薬師岳へ。薬師―雲の平は若かりし頃、20kg以上のキスリングとテント泊で歩いたルート。この時は槍、奥穂高まで。雲の平が期待はずれだったという印象しか残っていない。雲の平山荘発5時30分。薬師沢8時。太郎平10時15分。薬師小屋13時。薬師岳に登って来年は五色が原から、と思いを強くする。9日は太郎を経て折立へ下山。10時半着。立山に泊まり10日、富山から札幌に戻った。











2011年7月26日火曜日



7月23、24日(土日)久しぶりに天気のよい週末。花真っ盛りの表大雪へ。黒岳から白雲、赤岳へ縦走し、赤岳から3時半のバスで層雲峡へ戻った。花もすごいが、人もすごい。何人かの知り合いにも会った。何回も来ているルートだけれど、小屋の裏の桂月岳に登ると最初の大雪、高校時代を思い出す。まだ旭岳、黒岳のロープウェイもない時代、キャラバンシュ―ズで歩き、ご来光に感激した思い出。

シロウマアサツキ

雨の三連休の最終日、やっと夕張岳に行くことができた。曇り予報だが山はずっと小雨。それでも駐車場には30台以上の車。さすが花真っ盛りの夕張岳です。数年ぶり、、といっても途中までは2008年の滝の沢岳以来。いつももっと早い時期に来ていたので、たいくつしなかった記憶があるが、今回はシラネアオイやスミレもなく、蒸し暑い小雨の中がまんして歩く。ようやく前岳湿原の木道に入りキンバイがちらほら。シロウマアサツキの群落。においがすごいが可愛いピンクの花だ。頂上下の砂礫には花が落ちたユウバリソウがたくさんあった。

桂岳と大千軒岳




6月19、20日(土日)桂岳と大千軒岳。山ガールと一緒です。桂岳(733m)は木古内の山。枕木山荘(休業中)からさらに林道を入る。この山は反射板への刈り分け道を整備したようだ。ブナの樹林帯から笹原へ。1時間半ほどで反射板ピークへ。帰ってから調べるとさらにピークがあるとのこと。しばらく探してみたり、別な登山口からの道も少したどってみたが、わからなかった。私はまたダニにとりつかれていたことが夜温泉に入ってわかったので、これ以上ヤブの中を探さないでよかったかな、、。 今夜は松前泊。松前城を急いで見学。次の日は曇り。新道から旧道。新道の登山口でタケノコを採取してから登る。登り1時間半ほど。頂上は展望なし。昔、知内コースから来たことがあるのでまあいいか。旧道の途中でまた太いタケノコを採取。クマのフンもたくさんありました。

6月26日(日)浦臼山からクマネシリ、7月3日(日)空沼、7月10日(日)砥石山は山歩の仲間と歩きました。

ダニエル君

6月11、12日(土日)芦別岳旧道から新道。3年前に山歩の仲間と行き、そのすぐあとノマドで夫婦岩。ザレを登っただけでしたが結構高度感ありで、この画像はその時のものー今回は旧道の登りは曇り雨で、楽しみにしていた北尾根からの展望はなし、、。新道の下りは晴れ。何回も登っているのでまあ、いいか。芦別は好きな山です。北尾根は以前よりかぶっていて、漕いでいる間に何か違和感あり、やはりダニエル君にやられていました。

2011年6月20日月曜日

落合岳

6月5日(日)、富良野前岳の予定で原始が原をめざし冬靴で歩く。1時間以上歩いたところで渡渉箇所。雪解けの流れが盛り上がって落ちたらやばそう、、あっさり止めて戻る。それに下部は雪解けが進んでいてとりつきが藪で厳しそう。下山しながらまだ時間が早いのでどこに行こうかと話し合い、落合岳(1167m)へ。幾寅峠に昼に着きNTTの保守道路4km強を地味に歩く。しばらく歩くとトマム山方面の展望が開けてきて行者ニンニクの群落もでてくる。頂上(写真)は紋別岳と同じ。毛色が変わりかけた野ウサギが一羽、のんびりしていた。帰りはひたすら採集に専念、またも山菜の山となりました。

つつじ

5月29日(日)前日、当別丸山で恵山温泉泊。恵山つつじ祭りの週だったが、まだ早かった。しかも朝、曇り小雨。標高が低い山なので決行。さいの河原からまずは海向山へ。周遊コースを歩く。サラサドウダンもまだだがヤシオツツジが雨に濡れて鮮やか。低山ながら頂上付近には小イワカガミ、コメバツガザクラがあった。野生の馬もいるそうだが出会ったのはバフンのみ。さいの河原に戻ると風もでてきて結構きびしい天気。ツアーバスが何台も止まっていたが観光どころではない。われわれ(といっても3人)はがんばって恵山へ。1時間以内で岩山の頂上。ミネズオウをながめそそくさと下りた。


2011年6月7日火曜日

当別丸山

5月28日(土)、袴腰岳の予定が現地は雨模様で、急きょ低山へ変更する。トラピスト修道院からルルドの洞窟へと歩く。小写真はマリア像。ルルドの洞窟から山道へ入る。結構急傾斜の道。セミのぬけがらがたくさんあった。頂上(482m)は一等三角点。天測点もあり。ウドを目ざとくゲットして小雨の道を急ぎ下った。往復2時間強。修道院の売店で昔懐かしいバターアメとクッキーを買う。

山歩の仲間と、、

4-5月は山歩の仲間と毎週歩いていました。長尾山、余市天狗、並河岳、カニカン岳(写真)、小白山。登山というより、山菜を採りに歩くような山ばかり。それはそれで楽しい。年のせいか。。

2011年5月18日水曜日

ピリガイ山




4月29-5月1日、日高の一等三角点の山、ピリガイ山(1167m)へ。29日は神威林道を2時間歩きピリガイ山取りつきまで。小雨がちらつくが焚火もできてテント泊は快適。30日、6時前出発。雪のないブル道をたどり急な尾根からほどなく笹斜面へ。下部は雪が少なく笹がたちあがっており、久々の藪漕ぎ。1時間ほど漕いだら雪が藪を埋めるようになり、歩きやすくなる。神威岳、ニシュオマナイ岳、中の岳の展望が開け、天気も良く気分がルンルンになってきてペースも上がる。10時にはピリガイ山頂上に着いた。正面にドーム状のルべツネ、右にペテガリ、左に1599、ヤオロマップなど30分ほどゆっくりと眺望を楽しんだ。2008年8月にペテガリからCカールに泊まってルべツネに行った時、暑くて疲れたことを思い出した。帰りは登りで苦労した藪もあっという間に通過し、1時過ぎにテン場に下りた。明日は雨予報なので撤収し林道を戻った。気合を入れた山だったがあっけなく終わった。


2011年5月2日月曜日

ピラトコミ山






4月9-10日ピラトコミ山(1588m)。9日(土)は札内川ヒュッテまで約4kmの道路歩き。2階建てのきれいなヒュッテだ。以前は戸蔦別ヒュッテと同じ造作で別の場所にあったとのことで、40年前の山岳部時代、冬の日高縦走サポート(?)として札内ヒュッテまでスキーで荷揚げ、当時はダムもなくもっと手前から2時間はたっぷり歩き、もう一度戻って荷物を担いだ記憶がある。冬尾根からコイカクに登り何日かテント泊の合宿。1823へ行ったり、1599まで縦走隊を迎えに行ったりした。コイカクからの1839の ヒマラヤひだに似たすごみのある山容に感銘を受けた。10日(日)は快晴、5時45分発。コイカク登山口から沢に沿って歩き急斜面から尾根にとりつく。 頂上から南東に伸びる尾根で積雪期の一般ルート。ところどころ凍っていたが雪はそれほどでもなく、かんじきを途中でおいていく。ブッシュがうるさいところもあり、見た目より時間がかかる。頂上付近は新雪だがアイゼンもいらなかった。11時45分着。カムエクをはじめとする日高の主稜線が目にとびこんできた。時間が押していたので景色を堪能できず、下山。


2011年4月5日火曜日

割岳

3月27日(日)オボコの右はじにそびえる気になる鋭峰、割岳へ。オボコ山荘から登山口まで4kmほど歩く予定だったが工事の車が入っており除雪されていた、ラッキー。登山口6時20分発。ほぼ夏道。沢の両岸は切り立っており、沢の中しか行けない、あやうい渡りを繰り返して暗く寒い沢を行く。それでも8時過ぎにはオボコの山容が現れ、2002年2月に山スキーで登った感動がよみがえる。今回も素晴らしい青空!まるでダウラギリだ。割岳の基部には3時間ほどで着くが、かんじんの岸壁はそこから100m(?)も垂直にそびえている。もろい岩、雪崩も起きそうで一般人にはとても無理。帰りはオボコの基部をトラバースして山美湖へ下りた。

ルコツ岳

3月26日(土)長万部の一等三角点、ルコツ岳。長万部を過ぎたところ国道に気功パワーの看板、そこから入る。とても良い天気だったが林道は除雪されていなく、地味にスノーシューで歩き始めるが、くっつく重い雪。林道を1時間ほど歩いて植林の森へ。歩くにつれ展望が開けやはり一等三角点の山、頂上近辺はなだらかで見晴らしは良く、遊楽部方面も見えた。笹山だがところどころにオンコが良い風情を見せていた。登り2時間20分。オボコ山荘に泊まる。

2011年3月31日木曜日

昆布岳

3月20日(日)昆布岳山スキー。この連休、山歩の仲間と宴会&山の予定だったが、東北大震災、津波、原発事故で自粛取止め。深刻な事態が日を追って明らかになるにつれて、とても遊ぶ気持にはなれない。遊ぶ予定のものは全部募金したが多少、体を動かしたいので日帰りの山へ。夏道に沿って行く(途中にあるメガネ岩)。雪は重い。頂上近くはすこし硬くなっておりスキーアイゼンをつける。3時間半かかった。滑りは今季、最低でモナカでないが沈む、板が引っかかる雪。3回ほどころんであとはボーゲンで下りた。

最後のパウダー

3月6日(日)、数年ぶりの白井岳へ。昔は白井岳、無意根山、札幌岳などは山スキーの定番だったが、最近は滑りを楽しむ山へとなってきた。始発のゴンドラに乗り朝里の頂上まで1時間弱。雲行きがあやしくなり、飛行場を歩き始めたら視界がきかなくなった。白井下降点まで約30分なので時計を見ながら歩いた。白井の頂上に着くとまたお天気が回復し、余市も見えてきた。いつもの降り口からパウダーを楽しみあとは谷に沿って長いゆるい下り。もう春のきざし、、今季のパウダーは終了か、ちょっと寂しい。登りと下りで3時間程度でした。

2011年3月24日木曜日

太櫓山

2月26,27日瀬棚町の一等三角点の山、太櫓山(850m)にスノーシューで登ってきた。3時間弱でピークに到達し、さらにその先の毛無山をめざすが、視界がきかず方向をまちがえたようで戻ってきた。6時半、出発で2時まで歩き低山ながら結構な運動量だった。帰りは晴れてきて、車中から真白いカスべ岳とメップ岳が見えた。行き帰りの時間がかかる、、

2011年3月2日水曜日

やっと行けた奥手稲小屋


2月12,13日、手稲山頂から奥手稲山と奥手稲小屋の1泊山スキー。奥手稲小屋に泊まるプランはここ2年、悪天のため中断していた。12日(土)は快晴。9時のリフトで出発。男子大回転コースを横切るが、その先もずっとトレースがついていてあっけなく通過。961ピーク10時半、奥手稲山頂には12時前についてしまう。先客あり、夕日沢から来たという。展望を楽しみながら小屋に向う。ゆるい下りと登りで13時過ぎにはついてしまう。日帰り可能。時間があるのでユートピアピークに登り、パウダーを楽しんだ。夕食はスキ焼。ビールとワインで小屋ライフ!この日は北大の学生が3人小屋番でつめており、われわれのために(?)石炭ストーブをガンガンたいてくれて全く寒くなかった。過去2回、泊まったが寒くて眠れなかった記憶あり。ヒュッテンブッフをめくると、以前来た時の名前と年齢が書いてあり、少々感無量。今回もしっかり書き込みました。来年も来たいなー。なお小屋のわきに以前961ピークにあった鐘が移されていました。風台風の時に落ちたためとか。次の日は雪がちらついていたので迷沢への縦走はあきらめ金山へ下りました。