2015年12月10日木曜日

山陰の山



11月26日ー29日は山陰の山。3月に定年退職してから週の初め2-3日働いている。今回はカレンダー(連休)、仕事、ツアーの日程が合い2週続けて出て来ることができた。26日(木)は東京駅発19時10分の出雲市駅行きの高速バスに乗らなくてはならない。札幌は24,25日と計40cmを超える降雪があり、特に24日は千歳発の飛行機に大幅な遅れが出たり、欠航が相次ぎ、26日もどうかなと思っていたがいくぶん遅れただけであった。先週、九州はとても暖かかったので、山陰もたかをくくっていたが、出雲市に近い蒜山高原ではあたりが真っ白。出雲市27日、7時10分着。島根県は初めて。太田市から国立青年の家へ移動。男三瓶山(二百名山1126m)に登るコース、9時30分発。新雪の登山道を行く。頂上に近くなると風が強く、かなり寒い。11時半頂上。避難小屋で休み、女三瓶への道を行こうとするが、凍っていて危険との判断で、短縮コースを西の原に下山。ここから広島県境の山、道後山と吾妻山(三百名山)へ。雲南市、奥出雲町を通る。おろちの里とかおろちループという名前がでてくる。おろちループは道路が高い場所(700m)にあるので、廻りながら登っていくのでちょうど蛇がとぐろを巻いているようだ。まわりは雪がびっしりでスキー場もいくつかある。28日、最初は道後山。スキー場の山で1000m近くまで車で入れ、標高差200mくらいの楽な山。ところが車道の真ん中にくるま止めが、。しかしわきの説明板には12月1日から通行禁止とのことでスキー場に電話をかけてもらうと積雪のためだが自己責任でいいとのこと。バスの運転手さんのご苦労で登山口まで入ることができた。登山口8時15分。岩樋山を経て道後山へ、戻ったら10時半。また移動で吾妻山へ。12時過ぎ。ここも標高差はたいしてないが、雪がずっしりと重くけっこう歩き感があった。下山14時半。道の駅、高野から松江高速道を走り、木次で風呂に入り出雲市に17時ころ戻りまた夜行バスで東京。その日に帰札することができた。

九州の山々、尾鈴山、市房山、国見山



11月18-21日九州の二百(尾鈴、市房)、三百(国見)を登る。初日は千歳、羽田、宮崎と移動日。気温15度以上で暖かいというより暑い。ほとんど夏山の服装だった。19日(木)は宮崎県央の尾鈴山、ジャンボタクシーなので尾鈴キャンプ場からさらに登山口まで入る。7時20分発。頂上は9時10分ころ、長崎尾を経由して下山、移動が長いので瀑布群は割愛。20日(金)は熊本県第二の高峰、市房山(1721m)。市房神社駐車場7時20分発、神社は四合目で7時40分。ここから急傾斜の岩とロープの多い登山道、梯子もある。6合目の大岩、8時25分。7合目まで気が抜けない。底からは穏やかな稜線で頂上、10時20分。こころみの橋という2つの大岩が接近している場所まで行って戻る。下山は13時。ここから五木の子守うたで有名な五木を通り、五家荘を過ぎ五勇谷へ移動3時間。平家の落人伝説がある本当に山深い場所だ。21日(土)は7時45分、新登山口。ヒノキの植林地を急登、三叉路(旧登山口と頂上への道との)8時45分。尾根にでて五勇山、平家山など縦走路の山が展望できてくる、9時30分。鹿の防護ネットが見えてくると少し、雪があり、国見岳(1739m)頂上に出る。祠のある立派な頂上。久住と阿蘇、雲仙の山が見えて、最近噴火した阿蘇から噴煙があがっていた。下山12時10分。帰りは熊本空港から19時55分発で羽田21時25分。この日は東京泊。

2015年11月7日土曜日

田代山から帝釈山

10月25日(日)、夢の湯7時発、湯の花温泉経由で田代山登山口まで。登山口は標高1400mある。8時20分発。今日は昨日とうって変って気温が10℃以上下がって寒い。田代山湿原はさえぎるものがなく風が通って、ゆっくり鑑賞する間もなく通り過ぎる。近くの避難小屋には立派なトイレがあった。ここから少々のアップダウンで10時40分帝釈山頂上。避難小屋に戻り昼食、12時発。登山口には1時過ぎに着いた。山は順調だったが、羽田空港では最終便(21時発)というのに千歳空港、雪のため1時間遅延。しかも引き返すこともあるという、、。結局23時40分に千歳に着いた。JRはないのでバスを手配してもらい、タクシーで家に着いたら次の日の1時半だった、、。

2015年10月26日月曜日

久々にヤブこぎ荒海山

10月24日(土)、那須塩原駅集合で南会津の三百名山、荒海山。9月の大雨の影響で沢に沿った登山道流出で、沢の中を進むが大量の土砂、大岩、大木が行く手をはばんで最初から難行苦行、40分くらい歩くと先行グループが登山口がわからないと戻ってくる。崩壊した沢を進んでいくとロープの下がっている尾根へ続く登山道が見えてほっとするのもつかの間、道が落ちていて下は沢の岩盤、尾根へヤブ漕ぎで登ることになった。ひさびさのヤブ漕ぎで日高を思い出す。出発が10時40分でヤブ漕ぎ終了が12時15分。頂上まで標高差はたいしてないのだが、アップダウンはあるし道はすべるし、岩はあるしで汗をたっぷりかいて頂上14時過ぎ。さらに三角点のある頂上へも往復。下りは心配したほどでなく車へは17時には戻れた。今夜のお宿は会津鉄道会津高原尾瀬口の夢の湯、奥さんの初夢により掘った温泉で源泉かけ流し、料理も品数多く今日の予期しないヤブ漕ぎでもりあがる。

2015年10月2日金曜日

荒沢岳リベンジ

9月26-27日(土、日)はおととし台風で行けなかった荒沢岳。銀山平の泊りは前のシルバーウィーク2009年(越後駒と平が岳)以来。宿も同じ〇山荘で、料理が素晴らしかった。27日は4時発。どんより曇り空で、前山を過ぎたあたりから小雨がちらつく。前嵓の岩場に取り掛かる前に梯子と鎖が3,4箇所くらい、それを過ぎると普通の道になりほっとするも、すぐ鎖とロープの連続。支点だけあり鎖が撤去されているところも何カ所かある。でも登りはさほど怖くない。頂上9時。越後駒がちらっと見えただけであとは雲の中。下りが大変、鎖はぬれて岩は滑るし、他の人が鎖を使っていると、あとは順番待ち。特にトラバース部分が下りとなっているので、怖かった。ここで滑ったらケガではすまないだろうな、と思いつつ、、。実際、事故は起きているらしい。前山近くまで下りてきたら晴れて全貌が現れた。下山14時20分。

エビ山と白砂山


シルバーウィーク後半の9月23-24(水、木)は長野に近い群馬のダム湖である野反湖の山に行く。23日は野反湖からキャンプ場までエビ山1時間半コース、名前の由来は「えびす」で、甲殻類のエビではないようだ。24日、キャンプ場5時半発、天気がずれて曇り、雨予報。朝焼けの空がうらめしい。堂岩山までは樹林帯、9時。ガスの合間に白砂山への稜線がちらほら見える。稜線は紅葉真っ盛り、富士山、浅間山、横手山、岩菅山、それから鳥甲山が見えた。頂上10時20分。風があたり寒くて休憩10分。たぶ佐武流山らしき山も近くにある、白砂山頂上から踏みあとらしきものが、、。下山は雨にあたってしまった。14時30分着。

2015年9月7日月曜日

遠かった佐武流山

9月初旬の山は新潟と長野の境にある秘境?秋山郷の200名山、佐武流山へ。長野集合で初日は移動途中のカヤノ平にある高標山(日本の山1000)に登る。車で1400m位登るので、標高差300mの山。楽勝のはずだったが、カーブの多い山道で車酔い、ちょっと気分悪し。頂上には立派な標石があった。鳥甲山と苗場山が見えたが、佐武流山は雲の中だった。移動して栃川温泉のヒュッテに2泊。5日(土)、3時半起きで4時45分、ドロノ木平登山口発。ここは長ーい林道を少しショートカットする道で、いきなり急登。ほどなく立派な林道を歩くようになる。地元の人の車の乗り入れ(山菜とり目的)は許可されているとのことだが、一般の登山者は歩かなくてはならない。月夜立岩の岸壁を見ながら檜俣川へ下り、渡渉。水量は少なかったが、持参のネオプレンソックスにはきかえてわたる。7時。ここから胸をつくような急登になるが、高度がかせげてうれしい。しかし展望も花も全くない道だ。ワルサ峰9時。苗場山からの縦走路が遠望できる。西赤沢源頭9時45分。また樹林帯を進んでやっと11時少し前に頂上標識が見えた。頂上は樹林帯の中、標識と三角点の周囲だけ刈ってあり、全く展望のない地味な山だ。登り6時間。さすがに皆、疲れてしばし休憩する。下りもこの地味な道を下山。沢15時、ショートカットしない林道を歩いて17時登山口着。往復12時間の山でした。

会津朝日岳

8月18(火)-19(水)日は会津朝日岳、林道が崩壊して入山禁止になっていた只見町の200名山。ところどころ真新しいアスファルトの林道を通り、いわなの里へ。建物は崩壊していた。5時20分。6月に山開きをしているはずなのに、登山道は背の高い草に被われ、朝露をふくんだ草木をしばらくこぐとびっしょり濡れる。三吉ミチギという水場からブナ林となり少し涼しくなった。叶の高手を過ぎ、避難小屋で一休み。しばらく登ると、スラブ状の灌木と岩の急斜面。岩はだが赤くあらわれているのは、このあたりの山の特徴みたいで、豪雪によって流されてしまうのだろう。頂上着9時。見晴のよい頂上だが会津駒ヶ岳くらいしか私にはわからない。同行の男性達は300名山達成にリーチがかかっている人が多く、かなりマイナーな山名を話していた。12時半、登山口着。

2015年8月20日木曜日

やっと農鳥岳へ

8月7日―10日、東京の友達と3人娘で北岳から農鳥岳の縦走をしてきた。昨年、台風11号のため登れなかった農鳥岳のリベンジ。7日(金)、9時甲府発のバスで広河原へ。この日は白根御池小屋までなのでゆっくり登る。白根御池小屋着2時過ぎ。きれいな小屋で食事もおいしい。桃のソフトクリームを食べる。8日(土)、4時出発。草すべりの急坂を登っている途中、対岸の鳳凰三山から日が昇ってくる。6時半、小太郎分岐。寄り道をして小太郎山に行く。細いざれ尾根から灌木と岩稜の道で両側がきれているので気が抜けない。道もメインの縦走路と違い整備されていない。小太郎山着、8時。また分岐まで戻る。9時半。肩の小屋経由で北岳へ。12時着。3度目の頂上はものすごく混んでいた。ファショナブルな若い男女と私らのような高齢者で。1時間ほどのんびりする。北岳小屋着。2時。この小屋は以前来たとき(2007年)と変化なし。とても混んでいてここもふとんは2人に一枚。9日(日)5時発。6時半、2度目の間の岳。ここからは初めての道。農鳥小屋着8時。小屋の主人にここに10時まで着けばその日のうちに奈良田まで行けるといわれる。西農鳥岳は立派なピーク、農鳥岳はピークらしくないだだっひろい場所。9時半。大門沢下降点10時半。前後して歩いてきた若い子が広河内岳に寄って行きます、というので地図をみると近い、ということで私達も今日は大門沢小屋泊にして広河内へ行くことにする。30分ほどで広河内岳。笹山に続く道が広い稜線に続いて歩いてみたくなった(水場、小屋はない)。大門沢へ下り始めたときにヘリの姿とものすごい音が、、。急坂をおりていくと、3人の中年の男性が、、。一人はザックを2つ背負い、一人は連絡で忙しそう、。どうも仲間の一人が滑落してヘリで運んだようだ。標高差のある下りなので私たちも気を付ける。大門沢小屋着14時50分。この小屋は初めてだが前評判どおりで、おなかがすいて困った。10日5時出発。途中の沢ではダム工事中で吊り橋2つだけであとは林道となった。7時過ぎには発電所の車道に着いた。奈良田で風呂に入り身延線経由で甲府に戻った。快晴続きで4日間、充実した山行となった。

2015年7月21日火曜日

北海道百名山(118山)達成


7月の連休は礼文、利尻へ。7月17日(金)、朝大谷地で拾ってもらい稚内までロングドライブ。深川から留萌に抜けて海沿いの道を行く。天塩道の駅でお昼、しじみコロッケとしじみみそ汁がおいしかった。以前の記憶ではこの海沿いの道はお花がきれいだったが、今回めだったのはエゾニュウであとノハナノショウブ、ハマナスくらい。稚内に車をおいてフェリーで礼文島へ。今日は香深から少しはなれた手然(てしかり)にあるお宿に泊まる。豪華夕食だった。18日(土)バスで内路の礼文岳登山口へ。8時15分出発。帰りのバスが12時28分なのでゆっくり登ることにする。しばらくはゆるい登山道、見晴が良くなったらハイマツがあらわれる。たった?490mの山なのに札幌近郊の山とは大違い。頂上直下は急になったが、レブンシオガマ(ヨツバシオガマかと思った)、ハマナスなどあらわれ目を楽しませてくれる。頂上着10時少し前。私はこの山で北海道100(118山)達成。10年前にテンパっていたのだが、なかなかここまでくる機会がなく、やっと来れて友人たちに感謝。この日、利尻島の鴛泊へ移動し、ペンションみさきに2連泊。ここで友人の一人が属している山岳会グループに合流。19日(日)は利尻山。私は3回目。初回はツアーで5月連休、スキーで登頂。長官山から上部はピッケル、アイゼン、アンザイレンで登ったが、風が強かった。2回目は沓形からだが、天気が悪く途中で引きかえした。今日は快晴で宿の車で送ってもらい3合目から歩く。5時少し前に出発。数百人?が山に入っているようでひっきりなしに道のゆずりあい、6合目あたりから眺望が開け、8合目の長官山を過ぎたあたりからお花が、、。リシリヒナゲシを初めて見る。頂上は10時。ゆっくり下山、3合目着14時半。夕食のビールと海鮮丼(ごはんにウニ、イカ、カニをもりあげて)を堪能した。20日も晴れ、結局台風11号の影響は全くなく、帰りはサロベツ原野で遊んでゆっくりした。

2015年7月13日月曜日

船形山と泉ケ岳


新潟遠征のあと、6月28日(日)は小雨だったので、馬追の長官山にでかけた(初めての山)。7月5日(日)は羊蹄山(真狩)、この日は快晴。3時起きで出かけたので涼しいうちに登ることができた。7月10-12日(金―日)は仙台へ。11日(土)はツアーで船形山(1500m、200名山)。山形県の東根市から観音寺コースを登りに使った。標高差は500mくらいで楽なのだがずっと平坦な道で不安になってくる。9時発。みごとなブナ林が続き最上カゴ、仙台カゴとめずらしい名前のついた岩峰があらわれる。これは「籠」でなく(神様の)加護からつけられ修験の場所だったらしい。最後の30分で急坂になり12時20分に頂上着。かぜが強い。ウスユキソウの群落の他はめだつ花なし。下りは升沢コース。沢の中の岩をつたって下って行き升沢小屋13時50分。ここからは普通の山道。旗坂キャンプ場着16時30分。山形から仙台への縦走でけっこう歩きでがあった。12日(日)は仙台市民の山、泉ケ岳(1172m、300名山)。地下鉄で泉中央まで行きそこからふれあい自然館までバス、1時間以上かかる。終点はキャンプ場、冬はスキー場、とても混んでいる。この日は快晴、仙台30℃、木陰を求めて水神コースを行くことにした(コースは4つある)。8時発。水神着8時45分。これを直進すると北泉ケ岳を経て船形山へいくが15km以上あり7時間くらいかかるロングコースだ。水神から泉ケ岳へ向かう。ずっと岩のごろごろした道で歩きにくい。休むと暑くて汗が噴き出るのでがまんして歩いていたら見晴のよいガレ場にでて、お花も咲いている。昨日、登った船形山が見える。左には蔵王連峰が、、。ここから頂上はすぐ。9時半には着いた。11時過ぎに下山。バスの時間まで2時間弱。ふれあい自然館でさんまかばやき丼を食べてひたすら待っていた。

2015年6月28日日曜日

越後白山、朳差岳



6月20日(土)燕三条から1時間ほどで五泉市の山、越後白山へ。慈光寺という古く大きな寺が登山口。8時15分。ここも標高差800mくらいある。急坂が続き昨日のアルコールが全部汗となり10時30分頂上。周回コースがあるので登りと違う道を下山。12時。この山は全く花がなかった。登山口のそば屋さんで山菜天ぷらそばを食べる。コシアブラがメインで北海道でとりなれているウドと違い特徴がない味(2週連続で、喜茂別岳に通ったので、)。奥胎内ヒュッテに移動。ホテルのような施設、フランス料理のコースでした。21日(日)は今回のメイン、飯豊連峰の端っこのエブリ差岳(1636m)。3時起き、4時から1時間弱の林道歩きで登山口。足の松尾根の急坂、松の根っこにつかまって登る。姫子の峰を過ぎたあたりから岩場がでてくる。両側が切れていて要注意。水場着6時50分。イワカガミ、イワウチワ(白い花)が雪渓のわきに咲いている。曇り空ながら視界がきいて飯豊連峰が見えてくる。大石山8時。ここから稜線歩きで鉾立峰を経てエブリ差山まで。ヒメサユリ、チングルマなどでてくる。頂上直下には立派な避難小屋が見える。頂上着9時30分。あやしげな雲が近づいてくるので(本日は気圧の谷)、10分ほどで下山を始める。大石山まで下る途中で雨につかまってしまった。さらに雷の連続、、。奥胎内ヒュッテの方向は真っ暗だが下りるしかない、、。ずぶぬれになり14時には登山口へ着いてしまった。12~13時間行動の予定が10時間で終わりちょっとあっけなかった。

2015年6月22日月曜日

粟が岳とヒメサユリ


6月19-21日、新潟の山々へ。19日(金)は燕三条集合で粟が岳(300名山、1292m)。高くない山だが標高差は1000mある。この週末は曇り雨の予報。10時半登山口、13時40分頂上。途中のヒメサユリは最盛期、私は初対面。大ぶりの花弁で色合いがやさしい感じ。

2015年5月19日火曜日

札幌50峰達成

5月17日(日)最後の札幌50峰である北広山へ。仁別線の林道終点はゲートがあいており、山菜とりの車であふれていた。8時50分、歩き出すが山菜(タケノコ)採りの人達はいなくなる。私たちもタケノコを採りながら急坂を登りきるともう頂上、9時40分。物足りないのでくずれたフェンスに沿って自衛隊基地まで歩く。基地のゲートの中には島松山が、、、。これではだれも頂上はふめないですね。下山して10時半。物足りないので、ふれあいの森から白旗山に登る。低山でも2山ピークを踏んで達成感がありました。

2015年5月15日金曜日

初めてのアケボノツツジ

5月8-10日(金―日)は四国の200名山、西赤石岳から東赤石岳縦走。大阪南港・東予港間フェリーのツアー。土曜はあいにくの雨。日浦登山口8時10分。ここは旧別子銅山の入り口で、学校や宿舎などさまざまな建物の土台(石を積み上げ城壁のようになっている)がいくつもある。ダイヤモンド水9時。銅山越10時15分。昔、30kgの粗銅を背負いここを通り、帰りは生活物資を運んだそうだ。西赤石山11時30分。アケボノツツジの大きな花が、、他のツツジとは違い葉がでるまえに大きなピンクの花が咲く。初めてみて感激。物住頭12時30分。前赤石山は岩山、中腹をまいていく。赤石山荘を経て東赤石山14時30分。狭い頂上で眺望なし。筏津登山口18時。雨にぬれっぱなしの長い山道、別子マイントピアでのお風呂が有難かった。

2015年5月5日火曜日

尾瀬景鶴山

5月2-4日は尾瀬の景鶴山(2004m、300名山)。2日は鳩待峠から竜宮小屋まで、昼から歩き出すがとにかく暑い。さえぎるものがない木道(まだ雪の中)歩き、3時間ほどかかる。雪解けが進んでかわいい水芭蕉がでていた。3日は6時に朝食を食べ6時40分発。めざす山は正面に見えているが、川が渡れないので、見晴を経由、ぐるっと迂回して山にとりつく。人の足跡だらけで赤テープもちらほら、先行グループに追いつき帰るグループとすれ違いで本当に人が一杯、この時期2週間くらいしか登れない山なので、仕方ない。雪がザクザクで歩きづらく標高差600mくらいなのに4時間強かかって景鶴山頂上(とがったピークです、左は至仏山、手前の与作岳で)。この日も竜宮小屋泊なので、ゆっくり下山。往復8時間。小屋は風呂ありでビールがおいしかった。夏山のスタートです。

2015年4月22日水曜日

長尾山―大沼山縦走

4月19日(日)は長尾山、豊羽登山口8時40分発。先客はスキーの一人だけだったが、昔よくスキーで登った無意根山、しばらくご無沙汰していたが歩くうちに思い出す。スキーやスノーシューのあと、木には赤布で迷うことはない。登山口ではどんよりとしていたが、千尺高地にちかづくにつれ青空が見えてきた。何度みても千尺の壁は迫力がある。千尺高地はだだっぴろい雪の平地だ。少しの登りで長尾山。10時40分着。無意根に行こうか迷うが、頂上は雲の中。あっさりやめて、先週の大沼山への稜線を歩いてみることにした。美比内山もすぐ見えている。大沼山には30分ほどて着いた。11時40分。先週と異なり風が強く早々に大沼山を下山。写真は大沼山頂上直下の壁。先週は雪が堅かったが、今日はザクザクになっていて難なく降りた。下山13時。

2015年4月13日月曜日

美比内山―大沼山縦走

4月12日(日)、いつもの3人娘で美比内山に行こうと私が提案、先週は迷沢の予定だったが、沢が渡れず手稲の冬ルート。ガレ場も雪に埋まっていて結構良かったので、残雪の山なら自分達で行けそうと妙な自信がついた。豊羽の駐車場発8時20分。美比内へは尾根をまっすぐなので難なく到達、9時45分着。空は快晴、どこまでも見通しがきいている。スノーモービルも走り回っている。それでは、と無意根方向めざして前進、10時。スノーモービルの後を行くと、雪が堅くなって埋まらなく結構はかどる。モービルは途中の小ピークを全部はずしているので、こちらは都合が良い(いつもは敵視しているのに、)。単独の男性に会う。無意根方向から来たとの話、かなりな重装備。私達は皆、長靴でストックのみ、スノーシューもワカンもなし。尾根は回り込んで、樹林が切れたところで撮影タイム(写真)、写真の右方向には余市の南斜面と飛行場が、、展望を楽しんで、登りきったところが大沼山(1111m)11時40分着。さきほどの単独行の足跡は大沼山から下りへ、つまりこの2つの沢の間の尾根についているので、私たちもここを下る。13時10分着。

2015年2月16日月曜日

鹿児島の山


最終講義を終えてすっきりした気分。2月13,14日、毎日のツアーで高千穂峰と高隈山(大のがら岳)に登ってきました。雪の札幌から快晴の南国、鹿児島へ。高千穂河原(標高970m)からの登山で楽ちんなはず、、。ところが強風でしかも新燃岳の噴火以来、火山灰の積もった登山道となりけっこうきつかった。垂水温泉へ移動中、桜島が何回も爆発し青空に黒雲がムクムクと上がっている。次の日は垂水から1時間くらい移動し、大野原林道登山口から高隈山(最高峰が大のがら岳)へ。ここも標高差が600mくらい。杉林と灌木のなかのゆるい山道、ブナの南限らしい。しかし桜島の噴火の灰がひっきりなしに降り注いで、草木も緑ではないし、マスクが必需品。ザックも服も全部、灰色になる。下山してバスで桜島の反対側の展望台へ行くと、ここは平和な雰囲気。爆発孔が垂水側で、しかも季節風で灰が全部高隅山に運ばれるとのこと。初めての経験、帰りの温泉の時間が短かったため、洗髪しないで東京に戻りそのまま寝たら枕に火山灰がたまっていた。

最終講義


山と関係がないのですが、この3月で大学を定年予定。実感がわかないけれど、2月10日に最終講義を行い(題名はマウスから人へ)、花束を贈られました。

2015年1月7日水曜日

2015年

2015年の初登山は三角山、自宅から三角山を経由して奥三角山まで往復するとちょうど3時間で、高い山に行けないこの時期の運動としてはまあまあである。元旦は奥三角までトレースがついていたが、2日は雪が積もっており途中からラッセルして奥三角まで。クローゼットに眠っていたピンつき長靴が大活躍している(少なくとも14,5年前、日高の沢用に岩見沢の馬具店に頼んで買ってもらったもの)。この長靴で12月中は札幌50峰にはまり、野牛山、五天山、富丘丸山、西岡焼山、荒井山、神社山をクリアして、あと天神山、北広山の2山となりどちらを50峰目にするか考え中。1月4日は白樺山、6日は双珠別岳の山スキーだった。まだ雪が少ないがこれから山スキーのシーズンが始まる。