すべりを楽しむのはまだ先でした。
2010年12月27日月曜日
夕日の沢から奥手稲山
12月12日(日)は山歩の仲間と△真簾に行きました。12月18日(土)は奥手稲山。夕日沢から小屋経由で山頂予定でしたが、雪が少なく沢があいており10回くらい渡渉をくりかえすうち時間切れで標高750mくらいから奥手稲山頂へ。標識もデポ旗もなく、ピンクテープのみの寂しい頂上でした。先行した北大の男女学生2人は大ザックを背負い山スキーで渡渉に苦労しており、水に落ちてあきらめたのか、、われわれが車に戻った時には彼らの車はありませんでした。登り3時間40分。昨年も同時期に山歩の仲間と夕日沢に入りましたが昨年より雪は少ない、、それにしても奥手稲の頂上は10回以上踏んでいるのに小屋に行けたのは3回。それも8年前、、小屋の石炭スト―ブで飲みたいものです。次の日(19日)、こりずに三段山で初すべりをしました。三段山も上は風で圧雪、下は笹や灌木がでており
2010年12月8日水曜日
2010年12月1日水曜日
簾舞兜岩と670m峰
先週、11月20日(土)は今年8回目の手稲山。2週間前より雪も人も少なく静寂の山を楽しみました。21日(日)は山歩の仲間と南幌のフットパスに出かけました。27日(土)お天気が良くまた手稲でも、と思っていたらIさんが兜岩(564m)にさそってくれ、Mさんも参加し、3人ででかけました。
簾舞林道を入り最終人家のかなり先に道路脇に広いスペースあり駐車。そこから簾舞川におり、夏靴にビニール袋をはいて川を渡り、ダイレクトに急なガケを登ることにする。土が凍っているので何とかよじ登るが、笹も木も少なくつかむものがなく厳しい。登りきったらあとは疎林で笹も低く、670m峰とのコルから兜岩に登った。所要時間は1時間。兜岩頂上は岩がでており3人がすわるとあと余分なスペースはない。簾舞側はすっぽり切れ落ちていた。甘酒で乾杯。まだ早いので次に670m峰を目指す。稜線はシカ道がありヤブもたいしたことなく、あっさりと670m峰に着く。札幌岳の北壁が真白で迫力がある。ここをスキーですべる人もいるんですね。帰りは傾斜のゆるやかな西尾根を下り御料川を渡り、さらに簾舞川を渡り車に戻った。まだ12時前。Iさんがわれわれのはいたビニール袋(木に結んでおいた)を回収に行ってくれて感謝!この山行が最後の夏山となりました。
簾舞林道を入り最終人家のかなり先に道路脇に広いスペースあり駐車。そこから簾舞川におり、夏靴にビニール袋をはいて川を渡り、ダイレクトに急なガケを登ることにする。土が凍っているので何とかよじ登るが、笹も木も少なくつかむものがなく厳しい。登りきったらあとは疎林で笹も低く、670m峰とのコルから兜岩に登った。所要時間は1時間。兜岩頂上は岩がでており3人がすわるとあと余分なスペースはない。簾舞側はすっぽり切れ落ちていた。甘酒で乾杯。まだ早いので次に670m峰を目指す。稜線はシカ道がありヤブもたいしたことなく、あっさりと670m峰に着く。札幌岳の北壁が真白で迫力がある。ここをスキーですべる人もいるんですね。帰りは傾斜のゆるやかな西尾根を下り御料川を渡り、さらに簾舞川を渡り車に戻った。まだ12時前。Iさんがわれわれのはいたビニール袋(木に結んでおいた)を回収に行ってくれて感謝!この山行が最後の夏山となりました。
2010年11月22日月曜日
枇杷牛山と留辺蘂丸山
2010年11月16日火曜日
秘湯瀬戸瀬温泉と瀬戸瀬山
先週11月6日(土)は手稲山、7日(日)は山歩の仲間と上富良野千望峠。今週11月13日(土)は以前、山スキーで来たが雪が少なくヤブのため敗退した瀬戸瀬山(900,6m)のリベンジ。途中の旭川、上川は結構な雨だったが白滝では小ぶりになり丸瀬布に着いたころには晴れ。国道から9km、入ったところが瀬戸瀬温泉。さらに瀬戸瀬林道を山の左をまくように入る。林道が急坂となったので植林あとの小道をたよりに登る。伐採道を横切りヤブをこいで1時間15分で頂上。一等三角点の標石と標識あり。残念ながら木が高く見通しは良くないが、丸瀬布北見富士が見える。帰りは踏みあとをたどっていくとピンクテープがベタベタありヤブをこがずに伐採道にでる。けっこう人がきているようだ。最終的にはわれわれが車で登らなかった急坂の手前に出た。季節柄、鹿撃ちの車に会ったり、発砲の音も聞こえ気持ちの良いものではない。糞はたくさんあったが鹿はみかけなかった。今夜は瀬戸瀬温泉に泊まる。自炊のみ。温泉は源泉の温度43℃をそのまま入れているそうで、ぬるめで私でもゆっくり入れる、透明な無味無臭のお湯で肌が少しつるつるしてくるのがうれしい。
2010年11月1日月曜日
晩秋のポンヤオロマップ岳
10月最後の休日(30、31日)、日高のポンヤオロマップ岳(1405m)に連れて行ってもらいました。土曜は天気が良い移動日。中札内道の駅で買い物を楽しみ、大樹線の拓進から林道に入る。途中、坂下仙境という景勝地を通る。暦舟川の岩と紅葉がおりなすところで釣り人や観光客もちらほら。林道を10キロほど走り登山口でキャンプ。きのこ汁を堪能しました。31日、6時発。すぐハシゴが2本でてくる急坂。登りきるとしばらくは傾斜のゆるい道で、左の稜線に留取岳と思われる冠雪した山が見えてくる。途中、標識が1つ。ペテガリまで11km、ポンヤオロまで3km。1121m(標識は1119m)着8時40分。この手前から笹が茂ってくる。三角形のポンヤオロがそびえて見えるが木がじゃまをしてすっきり見える場所がない。道は大きく下り笹薮をかきわけながら登りにかかる。けっこう距離があり、きれているところもある。頂上着10時55分。立派な標石あり。ペテガリへの稜線は雲の中。白い谷筋が見えました。11時半出発。3時15分登山口着。片道6kmですがもっともっと歩いた感あり。道の半分以上が笹のかきわけなのでそう感じるのか、夏は歩きたくない道です。
秋の道南の二山
先週(10月16日)は学生さんと塩谷丸山ー遠藤山ー小樽天狗山の縦走をして、お決まりのコース、寿司と甘とう(クリームぜんざい)を楽しんできました。いちご、秋の果物、しょうゆクリームぜんざいと3つの味あり。われわれはいちごと、クリと柿のぜんざい。しょうゆはどんな味なのか、、興味ありますが相変わらず食べきれないほどの量です。
今週(10月23-24日)は遠出をして道南のヤンカと冷水に連れていってもらいました。ヤンカは低山(619m)。西から東コースを回りました。小沢をわたると出だしからロープのついた急坂。しばらくは林の中のゆるい道、今日(23日)は天気が良く、あたたかいせいか私の黄色のシャツにハエが寄ってくる。他の人達は暗色の上着なのでそれほどでもなく、笑われながら首筋にとまるハエを払いつつ次第に急坂になってくる道を登りました。写真は頂上から冷水岳。東コースも似たような急坂。オボコ岳と割山がはっきりと見えてくる。同行の方は先週、割山をめざしたが太い竹ヤブに撃退されたとのこと。残雪期に行ってみたいピークだが、果たしてあの岩塔のてっぺんまで到達できるのか。。ヤンカの所要時間は2時間半強でした。あわび山荘泊。
24日朝は曇り。冷水登山口6時40分発。登山道に草が茂っており、まっすぐが正解だが横切る作業道が立派なので入ってしまう。戻ってすぐ急坂になる。しばらくは杉林の中。ブナ林になっても急坂。どんぐりが落ち葉に埋もれていてすべる道。熊のふんもあり。天狗の登りは岩盤でロープ3本ほどついている。登りはともかく下りは頼りました。天狗からも多少アップダウンのある稜線。白水に到る稜線が少し見えてきた。冷水岳(1175m)着10時20分。少し晴れてきて、大きな台形の遊楽部岳が見えてくる。冷水から遊楽部分岐経由、白水への縦走路が造られ、数年前までは通れたそう。探してみたが完全にヤブにおおわれていた。長大な道、大変な苦労で作っただろうとしのびつつ歩いてみたかったと切に思いました。
2010年10月19日火曜日
遥かなるイソサンヌプリ
10月の連休、道北の一等三角点、イソサンヌプリ山(581m)をめざしました。北海道の分水嶺に連なる宗谷丘陵の山、宗谷岬までここより高いところはなし。一等三角点をやっているI さんをさそい、ポロシリのSさんに頼み ヤブ山好きなMさんも参加し4人ででかけました。初日は多寄山(460m)という一等三角点に寄り、ピンネシリ温泉泊まり。ピンネシリが夕日に映えて低山ながらとてもきれい。翌日、起きたら小雨。だが道北の天気は良くなるとのことで朝食をとり中頓別までドライブ。途中マッターホルンのような通称、トンガリ山があたりを威圧しそこに連なる珠文岳も見えてくる。そういえば以前ピンネシリに登った時、時間が余り中頓別鍾乳洞を見てこのトンガリ山の近くまで行ったら、意外と低く迫力がなかった記憶がある。宇津内川林道を走行し(途中ゲートあり)、林道終点の手前から9時ころ歩き出す(矢印地点より)。平成15年に刈り分けがされているとのこと(Iさんの点の記による)だが、Sさんは沢から行くという。小さい沢をつめ頭より高い笹ヤブをこいでやっと、頂上かと思ったら目の前にここより高い山あり。あれがイソサンヌプリ。到達点(矢頭、11時45分)から直線距離はたいしたことがないが、笹の波をみていると漕いで行って戻る気力なし、、で戻りました。地図を見直すと頂上へつきあげる明瞭な沢筋がない。途中右の小沢をつめてコルにでられたとしてもそこからがまた大変。低山だから、と甘くみたのが大間違い。ネットで調べても冬の記録しかなかった理由がわかりました。
2010年10月12日火曜日
おまけの山、武尊山。2山来年に残し。
ツアーなので上州武尊山つき。この山は1996年10月に単独で手小屋沢から登った。頂上近くに鎖場があったことを記憶している。今回は別ルートで川場の牧場からスキー場へおりるコース。9月25日6時に民宿発。6時半登山口出発。途中岩場がでてきて苦手な人を待つことがしばしば、寒くてフリースと雨具を着込む。10時半頂上着。小写真は頂上近くのヤマトタケルの青銅の像。この山にはヤマトタケル伝説があるらしい。11時下山開始。すぐ鎖場がでてきて17人がおりるのに時間がかかる(私としてはたいしたことなし、、)。セビオス岳という見晴らしの良い場所でしばらく待つ。あとは長い道をひたすらおり(途中避難小屋あり)、スキーリフトを利用して下山したら3時近かった。
東京に戻り26日、浅間山に登るため新幹線で佐久へ。バスで高峰温泉ホテルにいき泊まる。標高2000mの車坂峠にあるホテルで夕食はフルコースだった。山の服装で少々、申しわけなかったが料理は素晴らしかった。27日、何と雨。とりあえず出発。外輪山の稜線には1時間ほどで着く。黒斑山まで行って写真をとり、どうしようかとしばし考える。湯の平への道をおりはじめるが強風とガスで、これは前掛山まで行けないなーと判断し戻った。前日はお天気だったので朝、早く東京を発って登れば良かったと後悔してもあとのまつり。秋山は天気が続かず、、2山は来年への宿題になりました。
東京に戻り26日、浅間山に登るため新幹線で佐久へ。バスで高峰温泉ホテルにいき泊まる。標高2000mの車坂峠にあるホテルで夕食はフルコースだった。山の服装で少々、申しわけなかったが料理は素晴らしかった。27日、何と雨。とりあえず出発。外輪山の稜線には1時間ほどで着く。黒斑山まで行って写真をとり、どうしようかとしばし考える。湯の平への道をおりはじめるが強風とガスで、これは前掛山まで行けないなーと判断し戻った。前日はお天気だったので朝、早く東京を発って登れば良かったと後悔してもあとのまつり。秋山は天気が続かず、、2山は来年への宿題になりました。
98番目、皇海山
2010年9月28日火曜日
97番目の山、伊吹山
9月21日、金沢から高山へ移動して乗鞍に登る予定だったが、前線が日本海から太平洋に横断するとのことで急きょ伊吹山に変更する。朝、金沢は結構降ってきた。特急で米原へ。大垣行きの普通列車にのりかえて近江長岡に8時過ぎに着く。伊吹山登山口8時半。蒸し暑くて遠雷がひっきりなしにドーンと聞こえるのが気になるがとりあえず雨はきていないので歩き出す。神社のわきの道を行き1合目がスキー場。今はリフトは運休中。スキー場を登っていき終点が4合目。5合目を過ぎたあたりから急坂となる。6合目に避難小屋あり。7合目を過ぎたあたりで空が黒くなり雨が降り出す。これは前線が来たなと思い、降りることにする。だれも登ってきていないようだ。ところが4合目に戻ったら日がさしてきた。もう一度登ることにする。ロス時間1時間弱。次のバスで来た登山者が結構いるようで登山道はにぎやかになってきた。琵琶湖も真下にみえるようになる。6合目あたりから頂上にかけて伊吹山固有のお花畑があらわれる。イブキアザミ、イブキトラノオなど、9月なのに結構咲いている。背の高い植物が多い。教えてもらったのはイブキレイジンソウ、ピンク色の小型のめだたない花をつけていた。12時15分頂上着。頂上には土産物店、車で来た観光客がどっさり、、
96番目の山、白山
9月の三連休、加賀の白山を目指す。秋の行楽で航空券がとれない、、で9月19日(日)新潟まで飛んであとは特急で金沢へ。金沢はとてもむし暑い。翌20日、朝なんと雨。6時45分金沢駅発白山別当出合行きのバスにのる。乗客は5人。自家用車規制中なので市の瀬で、何人か乗り別当出合着。金沢からほぼ2時間。数年前にも来たが雷の中歩くのは嫌で帰ったことがある(その時は所用で京都にきたついでなので、あまり惜しくなかった)ので今回は覚悟をきめてカサをさして歩きだす。砂防新道は石畳の歩きやすい道だ。昨日室堂に泊まった登山者が続々と下山してくる。富士山のときと同じで軽装の人がめだつ。スニーカーにビニール雨具、ザックの代わりにショルダーバック。展望がきかないのでもくもくと登り途中の避難小屋10時半、白山室堂には12時ころには着いてしまう。3時間ほど。そのまま御前峰(2702m)まで登る。ガスの中、標識のほか何も見えない。しかもだれもいない頂上。室堂に戻ったら1時15分。このまま下山したかったが、室堂宿泊の予約をしている。明日天気が良くなったら池めぐりでも、、と思い泊まることにする。20人は泊まれる部屋に一人、10数人は泊まっているようだがそれぞれ部屋が違う。とにかく寒い。食堂、ビジターセンターは別棟なので、雨嵐の中行くのには気合いが要る。長い夜を過ごし起きたらもっとひどい雨嵐。気圧の谷にすっぽり入っているとのこと。朝食をゆっくりとり9時に室堂をでる。観光新道は崩落個所があるとのことで、また砂防新道を下り別当出合着11時30分。市の瀬で温泉に入り3時半のバス(シーズン終わりなのでこれ1本のみ)で金沢に戻る。
2010年9月13日月曜日
95番目の山、開聞岳
9月11日(土)95番目の山、開聞岳。所用で九州にでかけたので、金曜の夜鹿児島から普通列車にて指宿まで。1時間余りのんびりと九州最南端の海岸線を楽しむ。指宿の2駅前は薩摩今和泉駅、篤姫の生家である島津家の分家が治めていたところである。今は無人駅。指宿は温泉町、砂むしが有名だそうだが遅かったのでカツオのたたき定食で南国の雰囲気を味わう。土曜日6時9分指宿発、6時35分開聞着。開聞駅は駅舎がなくホームのみで殺風景。それでも私をいれて4人降りる。皆、山の格好。早朝にもかかわらずじとーっと暑い。30℃はある。しばらく舗装道路を歩いて開聞中学校のそばを上っていく。道路わきに1合目の標識あるがまだ山ではない。道路わきにはハイビスカスなど南国の花が咲き乱れている。森はジャングルのよう。写真(大)は1合目と2合目の間。車はここまで。青空が広がっているのに頂上付近は雲の中。2合目からしばらく火山礫の侵食された道、周囲はシダや木が生い茂るが全く涼しさは感じない。5合目になると海が見えるそうだがあいかわらず真白。登山道はらせん状に回り込んでいき大きな岩がでてくる。9合目の手前にははしごと鎖あり、ほどなく頂上(924m)へでる。9時10分。頂上も真っ白。3方は海なので晴れていたらさぞ絶景だろうと推測する。前後して登ってきた女子大生2人は九州在住なのでいろいろ話を聞くことができた。頂上発9時25分、帰りも全く展望がなく舗装道路を南国の太陽にあぶられながら駅着。11時40分。駅の標高35m、開聞岳は924mなので結構標高差があった。以前知り合いが標高が低いのでなめてかかったら大変だったという話を聞いていたので、ゆっくり登ったつもりだったが。12時4分の列車で枕崎を経由してバスで鹿児島に戻った。枕崎か知覧で遊んでいきたかったが外にでると耐えられない日射と温度。またカツオのたたき定食でがまんした。
2010年8月17日火曜日
白根火山、本白根山
8月16日、高崎6時14分発、吾妻(あがつま)線普通列車で長野原草津口へ。7時38分着。46分発のバスで草津温泉へ。8時26分着。9時発のバスで白根火山へ。バスは急坂、急カーブの道をどんどん高度をかせぐ。ほどなくして白根火山のどでかい姿がドーンとあらわれる。途中の殺生河原からロープウェイがでている。バスは白根火山レストハウス9時30分着。観光客であふれている。白根火山は活火山でガイドブックで紹介されている湯釜(火口湖)への道は硫化水素発生のため登山禁止。かなり横のほうから行かなければならないのでやめて、本(もと)白根山へ。逢ノ峰を越えて行く。日差しが強く暑い。本白根山の火口壁を一周するハイキングコースである。一周8kmだが途中から本白根最高地点を目指す。コースは低潅木、ハイマツと砂礫のミックス。砂礫にはコマクサがさかりである。赤とピンクと、白もあるらしい。11時最高点着。94番目の山。小写真は最高点から一周コースをみおろす。頂上にいた人に撮ってもらいました。万座へ下る道から少しヤブをこぐと三角点があるらしい。行ってみたが硫化水素発生とかでロープがはられていました。白根火山に戻り1時発のバスに乗る。帰りも草津温泉でいったん下車しなければならないけれど温泉に入るまでの時間はない。長野原草津口で上野への特急を待つ。ホームの寒暖計は36度。私の前に並んでいた女性のペットは何とフェレット。ラットにしては大きいなとは思ったけれど。よく見ると足は白い毛でおおわれている。目は黒で女性にいわせるとめずらしいそう。アルビノは普通、目(虹彩)の色素がなく赤い。フェレットも実験動物。でもこうして大切にされて可愛がられているんですね。寿命は5-8年でこれで5匹目とか。
今回は山(富士山、西吾妻山、本白根山)は楽でしたが、移動のさい暑くて年齢が身にしみました。
今回は山(富士山、西吾妻山、本白根山)は楽でしたが、移動のさい暑くて年齢が身にしみました。
西吾妻山
昨日の富士山は92番目の山。今日8月15日は朝東京から米沢に移動してバスで白布天元台に行きました。東京は晴れていたのにだんだん雲行きが怪しくなり米沢は雨。天元台からロープウェイと夏山リフト3本を乗り継いで1800mまで。カッパを着て10時50分発。登山道は沢登りをやっているくらい水がながれ落ちてくる。20分ほどでカモシカ平。ここから木道が続く。下りて行って大凹という池塘と草原、お花畑。晴れていたら良い場所、でもお天気のせいか人も歩いていなく少し不気味。梵天岩への急な登りが終わると天狗平。道はまた下りていって木道。少し樹林帯を登り12時10分、西吾妻山(2035m)頂上。一人の頂上。見晴らしは利かないけれどアオモリトドマツ、シラビソ、コメツガなどで囲まれたそれなりに風情のある場所でした。帰りも急いで2時半発のバスに間に合わせました。93番目の山。以前、福島から一切経山と東吾妻山を登ったときも悪天で傘の柄が曲がった記憶があり、どうもこの山域は相性が悪い。バスの中で私より早いバスで来て登った単独のおじいさんと話す。東北はずっと雨で、岩木山、早池峰、安太良と行ってきて明日は蔵王に登るとか。米沢に戻り高崎へ移動。新幹線は混んでいて立ちっぱなし。でも車内は冷房がきいているけれどホームや駅構内はめちゃくちゃ暑い。特にホームは37ー40度ある。
大渋滞
8月13-14日富士山に登りました。12日、台風4号が東北を横断中、東京行きも遅れたのみで何とか
夜遅く着きました。サンシャインツアーという格安ツアーを利用。新宿からバス5台にぎっしりと乗せて出発。どうも雰囲気が違うと思ったら、私と同世代のおばさん達がいない、、若者が目立つ。隣の席の若い男性は山は登ったことがないけれど、富士山は行ってみたいとのこと。山ガールもたくさんいて目立たない。皆CWXをはいてスカートか短パン。吉田口5合目には続々とバスが到着して人があふれ出てくる。東京のど真ん中より混雑し、だれが同じツアーか全然わからない、、これは集合のたびストレスでした。12時半5合目出発。6合目まできたら前がつまっている。これは8合目まで登山道がいくつもある山小屋の前(道が細くなっている)を通過するときつまってしまうため。ずっと人がとぎれることなく、追い越せない、、大渋滞。お盆の最盛期これが富士山の実態、百聞は一見にしかずです。結局本8合目標高3400mの富士ホテル(山小屋です)に到着したのは夜8時過ぎ。標高差1100mくらいをかせぐのに8時間かかり別な意味で疲れた、、夕食はカレー。
翌日1時半起き2時過ぎ出発。登山道は渋滞しているので、下山道を行くがガスと強風で寒い。頂上は4時着。大混雑。4件の山小屋の向こうに富士山頂(奥宮)の石柱(小写真)を撮るがガスと強風で心霊写真のよう。フリースの上下、冬帽子などありったけ着てから雨具を着ているが低体温症になりそう。この悪天では剣が峰にはとても行けず下山。富士山は登山道と下山道がわかれていて、登山道は主に石畳、下山道は山小屋への補給のためのブル道で火山灰と石の道。しかし富士山というところはお花が何もないところだ、、楽しみもなく8合目から2時間で5合目に到着。帰りは河口湖のそばのホテルでフロとバイキング付き。これでツアー代16300円は安い。一人でも行ける山だが急いで高山病になったかも知れない、、ゆっくりツアーで体調も良かった。帰りの高速は渋滞気味。東京駅に向かう途中半蔵門のわきでは機動隊の車が何台も、、その横には日の丸と団体が。ああ明日は終戦記念日です。こんなに山ばかりでは非生産的、非国民といわれただろうな、、でも登山の発祥は山岳兵だったし、日本でも兵隊の訓練、国威発揚のために登山があったし。
2010年8月9日月曜日
91番目の山
(写真は水晶岳頂上から穂高連峰。小写真は赤牛岳頂上)
8月1日(日)、朝から晴れ。今日は一番長い距離を歩くが晴れていると皆の気分が違う。5時半発。水晶岳(2977m)着6時15分。岩稜の山。360度の大展望。91番目の百名山。温泉頭、高天が原からの登山路が下に伸びている。今日は初めて雨具を着ない日だ。直射日光が照りつけ暑い、時折あらわれる雪渓の雪をすくう。水晶までの稜線に比べ人がぐっと少なくなり、北アルプス最深部という実感がわく。赤牛岳(2864m)着10時。赤牛から覚悟の読売新道。ルートを8つにわけ7/8—1/8まで標識があり、標識の間は30-45分くらいで歩けたのであっけないほど楽に降りることが出来た。6/8(2578m)までは大岩の点在する稜線歩き。水晶(たぶん石英)がゴロゴロした道だ。樹林帯に入り5/8にはロボット雨量計あり。ハシゴや細かい登りもあり東沢出合、奥黒部ヒユッテ着15時。フロに入ることができ下山ムード。
8月2日(月)、6時45分発。黒部湖の周囲を忠実にたどる。急なハシゴの投降が数箇所あり神経を遣う。平ノ渡し着9時。船の来たのが10時過ぎ。われわれ8人をいれ20数人が乗船した。10分ほどで対岸に着き、そこからまた黒部湖の周囲をたどる。対岸は太陽がてりつけ結構アップダウンがある道で、お花などないし疲労もたまってきてこの山行中私に
は一番つらかった。ロッジくろよんの建物が見えてからさらに1時間ほど歩いてようやく着いた。14時半。
8月3日(火)ロッジくろよんからトロリーバスとロープウェイを乗り継ぎ室堂へ。何人かは雄山へ向かう。私はすでに剱岳、立山連峰を登っているのでさぼって、地獄めぐりとみくりが池の温泉(日本一高所にある)で入浴しのんびりコーヒーを飲む。午後バスで美女平を経て最初の宿泊地であるグランサンピア立山に戻る。
8月1日(日)、朝から晴れ。今日は一番長い距離を歩くが晴れていると皆の気分が違う。5時半発。水晶岳(2977m)着6時15分。岩稜の山。360度の大展望。91番目の百名山。温泉頭、高天が原からの登山路が下に伸びている。今日は初めて雨具を着ない日だ。直射日光が照りつけ暑い、時折あらわれる雪渓の雪をすくう。水晶までの稜線に比べ人がぐっと少なくなり、北アルプス最深部という実感がわく。赤牛岳(2864m)着10時。赤牛から覚悟の読売新道。ルートを8つにわけ7/8—1/8まで標識があり、標識の間は30-45分くらいで歩けたのであっけないほど楽に降りることが出来た。6/8(2578m)までは大岩の点在する稜線歩き。水晶(たぶん石英)がゴロゴロした道だ。樹林帯に入り5/8にはロボット雨量計あり。ハシゴや細かい登りもあり東沢出合、奥黒部ヒユッテ着15時。フロに入ることができ下山ムード。
8月2日(月)、6時45分発。黒部湖の周囲を忠実にたどる。急なハシゴの投降が数箇所あり神経を遣う。平ノ渡し着9時。船の来たのが10時過ぎ。われわれ8人をいれ20数人が乗船した。10分ほどで対岸に着き、そこからまた黒部湖の周囲をたどる。対岸は太陽がてりつけ結構アップダウンがある道で、お花などないし疲労もたまってきてこの山行中私に
は一番つらかった。ロッジくろよんの建物が見えてからさらに1時間ほど歩いてようやく着いた。14時半。
8月3日(火)ロッジくろよんからトロリーバスとロープウェイを乗り継ぎ室堂へ。何人かは雄山へ向かう。私はすでに剱岳、立山連峰を登っているのでさぼって、地獄めぐりとみくりが池の温泉(日本一高所にある)で入浴しのんびりコーヒーを飲む。午後バスで美女平を経て最初の宿泊地であるグランサンピア立山に戻る。
90番目の山
7月30日(金)、この日もどんより天気、時々小雨。6時半太郎小屋発。なだらかな登りで北の俣岳(2661m)。見通しはきかないが草原とお花畑、雲の平も見下ろせ楽しい。黒部五郎へはけっこう急なガラガラ斜面の登り。肩で荷物をおいて頂上へ。11時半。90番目の日本百名山だが展望なし。肩に戻り大休憩。カールへ下り巨岩をながめつつひろびろとした草原に出て黒部五郎小舎に着く。15時。リンゴ、トマトを売っておりビールより有難い。男女別の大部屋だが宿泊者がそれほど多くなく一人1枚の布団で寝た。7月31日(土)、5時半発。朝食は早いもの勝ちといわれ4時半から並んだが全く混んでいなかった。しばらく沢のようなところの急登が続く。キヌガサソウに出会えて感動。稜線にでても相変わらず曇りで三俣蓮華岳着7時過ぎ。三俣蓮華小屋でコーヒータイム(8時ー9時)。リーダーの携帯に白石チーム、ヘリで救助の報。北海道はこの週大雨でカムエクの8の沢の増水だそうです。鷲羽岳―ワリモ岳とだらだら歩いていると時折展望があり、薬師、三俣蓮華、黒部五郎、烏帽子、明日登る水晶などが顔をのぞかせる。足元はお花畑でゆっくりと歩いて水晶小屋13時半着。水晶小屋はとても小さな小屋で完全予約制とのこと。土間の天井が硝子(?)でできており明るくてきれいな小屋。夕食はいつもカレーとのことだがみそ汁と寒天デザートもつきとてもおいしかった。2人で1枚の布団。
北アルプス大縦走:折立から薬師、黒部五郎、鷲羽、水晶、赤牛そして読売新道
(写真は8月2日、黒部湖を渡る平ノ渡し)
2年前、富山に行った際に折立から黒部五郎と水晶を登り新穂高におりる計画でしたが、秋で寒冷前線が通過ということで妙高、火打に変更した。単独の長い縦走はけっこう計画倒れになるので今回、ノマドツアーに参加した。
7月28日(水)、千歳―富山―電鉄富山から立山駅。グランサンピア立山泊。
7月29日(木)、5時半、小型バスにて折立へ。7時半出発。この日は太郎平小屋まで。樹林帯を過ぎるあたりから雨と風が激しくなり展望なし。小屋着11時すぎだが薬師には行かず留まる。昔、薬師岳には登頂済みだし、1週間前からひいた風邪が抜けていない。ぬれたものを干すことで時間つぶし、、乾燥室は広くストーブがついていたが宿泊者が押し寄せ満杯状態(靴をまちがえられた人も、、)。寒かったので長袖のTシャツを購入。うす紫色で太郎小屋と大きく書いてありこの山旅中、ずっと愛用した。6畳の個室に8人泊まりでわりとゆったり。
2年前、富山に行った際に折立から黒部五郎と水晶を登り新穂高におりる計画でしたが、秋で寒冷前線が通過ということで妙高、火打に変更した。単独の長い縦走はけっこう計画倒れになるので今回、ノマドツアーに参加した。
7月28日(水)、千歳―富山―電鉄富山から立山駅。グランサンピア立山泊。
7月29日(木)、5時半、小型バスにて折立へ。7時半出発。この日は太郎平小屋まで。樹林帯を過ぎるあたりから雨と風が激しくなり展望なし。小屋着11時すぎだが薬師には行かず留まる。昔、薬師岳には登頂済みだし、1週間前からひいた風邪が抜けていない。ぬれたものを干すことで時間つぶし、、乾燥室は広くストーブがついていたが宿泊者が押し寄せ満杯状態(靴をまちがえられた人も、、)。寒かったので長袖のTシャツを購入。うす紫色で太郎小屋と大きく書いてありこの山旅中、ずっと愛用した。6畳の個室に8人泊まりでわりとゆったり。
2010年7月20日火曜日
沼の原ー五色岳ー化雲岳ーヒサゴ沼
3連休(17-19日)、山歩の仲間と沼の原からトムラウシを目指しました。前日の会話、「明日どこに行くの?」 「トムラウシ、、」 「エエッー、遭難するなよ」すっかり有名になった山。今まで少なくとも6回登っています。クワンナイ川、ワセダ沢、美瑛富士からの縦走、扇沼山から、トムラウシ温泉からのピストン、沼の原からは20年ほど前に、友人と二人、ヒサゴに泊まりトムラウシ往復し天人峡におりた記憶があります。沼の原は沼の原山に登ったとき当然、通りましたが、五色岳のお花畑を再訪したく計画してくれた世話人にはホント感謝です。初日は蒸し暑いけれどお天気良く、最初の沢の渡渉もなし(新しい道)。沼の原入り口付近から石狩岳、ニペの耳、五色岳、白雲、トムラウシは頂上が雲に隠れていました。少し登るとニペソツ、丸山、ニセイ山、ウペペサンケ、忠別岳など。前方右に見えるきれいな三角錐の山、大雪連山から少し離れた山は何でしょう。五色岳の殆ど頂上まで木道が設置されておりその両側には花、花、、ハイマツ、笹原、池塘などとミックスされた自然の大庭園。ゆっくり楽しみながら歩き、登山口から6時間ほどで五色岳。ここから1時間超で化雲。ヒサゴ沼に着いたら4時をまわっていました。雪渓がかなり残っている。小屋は満杯。テント設営し、まずはビール。夕日もきれいで明日に期待して就寝。暑くてゴソゴソやってしばらくすると強い風。雨も強くなりテントは床上浸水。とても寝ていられなくなり、明るくなるのを待って下山となりました。
2010年7月14日水曜日
雨竜沼湿原
7月10-11日、南暑寒ー暑寒岳の縦走。箸別または増毛からのコースはよく登っているが(この5月もスキーに)、南暑寒からの縦走は何十年ぶりか、、忘れられないのは20代のころ、単独ヒッチハイクで10月にこの縦走をしたこと。その当時は滝川からダムまでバスがあり、ダムから南暑寒荘まで10数キロ歩く予定でしたが、歩き出してすぐ拾っていただいて感謝。化繊のシュラフ、コンロはスベア、重い革靴、日高ザックと今では考えられない装備でした。管理人に熊に会ったらどうするの、、と当時若い女性の単独はめずらしかったのか、、。秋色の湿原、ホンジャマ平から群別岳、今でも記憶が残っている。暑寒荘でも林業関係者の方に拾っていただき、増毛から汽車で夜遅く札幌に戻りました。それから2回くらい来たがたいして記憶はなし、で今回、南暑寒荘のリニューアルにはビックリ。シャワーも使える別荘です。11日は曇りでときおり晴れ間が、、湿原を歩いているときはずっと曇り。ワタスゲ、エゾカンゾウ、ヒオウギアヤメなど。4時南暑寒荘発、10時南暑寒岳、12時暑寒岳。花が多かったのは暑寒頂上から南への路、シナノキンバイ、キンポウゲ、エゾツツジ、チシマキキョウ、イブキトラノオ、フウロ、、箸別コースの9合目にはマシケゲンゲが旬を過ぎていました。うんざりするほど長い箸別コースの2合目から登山口、4時をまわっていました。。
2010年7月5日月曜日
2010年6月28日月曜日
十勝幌尻岳1846m
6月26-27日、3度目のペテガリの予定でしたが2度目のカチポロに変更になりました。土曜日の帯広地方は35℃。今年は冷夏予想が一転して猛暑とか、6月で30℃を超えるのは記憶に無いほど。5月半ばから週末は晴天が続き山行には最適、でも急に暑くなり体が順応しきれていない、、猛暑といえば11年前1999年夏を思い出す。この年は沢に明け暮れて十の沢から春別、カムエク、鉢盛山、ユートムラウシ川、1415、、(鉢盛は時間切れ、ユートムラは豪雨で敗退)30℃超が2週間続き札幌も35℃になり実験室のディープフリーザーがダウン、遊んだツケが回っていました。今回カチポロの登山道はきれいに整備され下部の橋も真新しい。沢に沿っての道は涼しいけれど急登になるとやはり暑い、、癒しのお花は白いシラネアオイ、赤紫の花に混じって白花が可愛い、結構たくさんありました。4時間ほどで頂上、日高山脈の大展望が広がりました。目の前に札内、エサオマン、右にポロシリ、ピパイロ、トムラウシ山も同定、、右に春別、ナメワッカ、カムエク、下部に岩内岳、1823、コイカク、1839、ヤオロ、ルベツネ、ペテガリ、、(写真は札内、ポロシリ、トッタベツ方向)
2010年6月22日火曜日
礼振峰(1049m)
2010年6月21日月曜日
モエレ山(二等三角点 当別太)62m
2010年5月31日月曜日
クマネシリーピンネシリ山
2010年5月28日金曜日
東丸山
2010年5月22ー23日 東丸山 1666m 天気曇り
噴泉塔で有名な丸山の隣、東丸山につれていってもらいました。ホロカ音更林道には雪が残り、望山橋手前20分くらいのところから歩き出す。望山橋からすぐ広場がありふだんはここまで車が入るそうです(2006年7月に丸山に登ったときはヘアピンカーブの上まで)。5の沢左岸沿いの林道はヘアピンにて沢筋からはなれ、荒れた作業道へ続く。ほとんど雪で埋まっていた。2時間ほどで5の沢入渓地点、テントサイトに午後2時過ぎ着。夕食は行者ニンニクをたっぷり入れたジンギスカン。食事中、結構雨が降り明日の沢の渡渉が心配になる。次の朝、5時20分ころ出発、すぐに雪融けで増水した沢の渡渉。太い木を切り倒して支えにする。水の勢いが強く足をとられそうになり、10数年前の北トッタでの苦い記憶が甦る。靴の中までびっしょり濡れ、靴下をしぼったりで1時間ほどロス。もう1箇所、渡渉ありましたがあとは雪の上を歩き7時半、東丸山直登沢出合着。頂上まで600mの高度差、雪がびっしりつまり傾斜も増してきて途中で本アイゼンをはく。ガスがかかり上も下も見えないため恐怖感はさほどない。頂上直下は雪がとぎれ這い松こぎ、9時20分、頂上着。頂上は6畳ほどの整地された地面。ウペペサンケは全く見えず残念でした。帰りは雪がゆるみ順調に歩き、途中行者ニンニクを採取、テン場12時、車着2時半でした。
2010年5月11日火曜日
初春の山中
世話人をはじめとして諸事情で行けなくなった人が続出、結局教員1+学生さん3人が春香山銀嶺荘で一泊して来ました。当日は小雨、山は初めてという学生も雨具を借りてきて着用しがんばりました。例年より雪が多い、でもカタクリロードは健在。その他えんごさく、二輪草、延令草など。土場からは雪がびっしり、雨のため寄り道せずに小屋には2時間ほどで到着。泊まり客はわれわれだけ。宴会時間が長く酒は少々不足しましたが、具沢山の豚汁、おかまでたいたごはん、デザートはイチゴゼリーを作りました。若い学生さん達はまきストーブがめずらしい。3代目管理人の竹本さんが撮ったアルバムを見ながら、東海大学と管理人さんのご苦労を話題にして、いつまでもこの山小屋を維持してほしいと切に願いました。シュラフや食器を持たずに泊まれるのはここだけ。でもトイレットペーパーを持参するのを忘れました。次回必ず。翌朝はゆっくり目玉焼とコーンスープ、パンを食べ頂上へ。あいにく曇りでしたが尻滑りを楽しみました。小屋から下っていくと日曜日でたくさんの登山者と会い知り合いも何人か。春香山の会、会長の平田さん(1400回!登頂)とも会い記念写真を。80歳の今年は80回登る予定だそうで、幾つになっても目標を立て登る姿には頭が下がります。
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